「これもいずれ、赤く変わるわ」

ブログタイトルに意味はない

『MESSAIAH』シリーズに手を出しました。

 高殿円先生の小説『メサイア 警備局特別公安五係』を読み、当時上映中だった『MESSAIAH 極夜-Polar Night-』を観、買う予定のなかったパンフレットをいつの間にか購入しており、『悠久乃刻』チケット申込みを済ませ、『極夜』のメイキングDVDを購入し、更にその後『暁乃刻』DVDを購入しました。『極夜』を観てから転げ落ちるように嵌っていっている気がします。原作小説も読みやすくキャラも設定も魅力的で何度も読み直してます。メサイアこっわい。

 『極夜』『暁乃刻』観て思ったのは、「シリーズものなのに基本設定押さえてればどの作品から観ても楽しめるのでは?」ということ。
 『極夜』は「気になるシリーズの作品がちょうど上映していたから」、『暁乃刻』は今回9月に『悠久乃刻』観劇予定なのでせめてその前の作品くらいは観ておこうと思ったから、という理由で観たんですが、作中の世界観とメサイアシステムについてわかってれば人物の関係性とか、過去(こんなことあったんだろうな、程度ではあるけど)がなんとなく察せるので過去作観てなくても楽しいんです。ホントに。
 『暁乃刻』だったら冒頭で「ああ白崎は悠里淮斗のことすごく大切に思ってるんだな」とか「有賀はメサイアが替わってて新メサイアの加々美を受け入れられてないのかな」とか…なんとなくわかる。勿論過去作を観るのが一番いいんでしょうけど、新規にも優しいシリーズ物っていうのが第一印象です。ありがとうメサイア。今のところ万夜様が一番好きなので彼の卒業まではお金をメサイアに落とすと思います。
 そんな新参にも優しい脚本に加え、キャストさんたちの演技もさることながら殺陣…すご…ってなってました。めっちゃ飛んだり蹴ったりしてる…すごい…。

 この喜びを今のうちに形にしておきたくてブログに書いてみようかと思い至りました。
 


 あと万夜様についてちょっと考えてみたかった。(ド新参者の私が書く感想なんか残しても意味なさそうだし)
 講談社文庫版に収録されている「哲学者より愛を込めて」でちらっと万夜様が出てきていて(台詞はないけど)、そこで語られていた彼についてのあれこれが私のツボを押さえていて。「御池万夜…あーーこういうキャラ好き。まず名前がいい。あと経歴からして絶対憂いを背負った性格してる。自分を崇拝してた信者に殺されてるし。元ご神体様とか、こう、神聖な感じ漂わせてるでしょ。神経図太そうでなんか浮世離れしてそう。」って。

 まあ『極夜』で長江崚行さんが演じる万夜様見て全然そんなことなかったって思い知らされるんですけどね。小説だと死亡時点で既に(推定)21歳なんですよ。舞台・映画でもそこまで年齢違わないと思ってるんですが、その年齢本当か?ってくらい滅茶苦茶生意気でしたね。浮世離れはしてそうでしたけど。

 

 それでも好きなんですけどね、万夜様。可愛い。

 その万夜様をちょっと考察(半ば妄想)してみた。

 

①万夜様は本当に「人の心がわからない」?
 『暁乃刻』で柚木に「人の心がわからないのか!」みたいなこと言われてた万夜様。『極夜』ではピリピリしている先輩白崎に対して「万夜様って呼んでよ! 万夜たんでもいい!」とか言い放つ生意気っぷりを見せながらも、白崎(と淮斗の関係)の危うさを見抜いて指摘してた。間宮と有賀の再会に手を貸した。『暁乃刻』でもメサイアである加々美を始末しようとしていた有賀に「いざってときに迷ったら僕が撃つから安心して」と有賀を気遣ったような言葉を言っている…(有賀には「余計なことはするな」って言われてしまってたけども)。その後スペクターに囲まれた時「ここは僕がやる」って有賀を加々美の元へと送り出してるし。
 ズレてるけど他人の心が全くわからないほど自分勝手なわけではない、気がする。元ご神体様、柚木が知らない時点で表立って信者達に説教とかしてたり相談に乗ったりしてたわけじゃないだろうけど(っていうかご神体様って何するんだ)、「照る日の杜」は子供の命を救うために全財産投げ打つような人が信者をやっている。偏見かも知れないけれど、新興宗教に縋る人っていうのは何かしら悩み、心の闇を抱えてる人なんじゃないかと。万夜様は生まれたときから信者に殺されるまでそういう人たちを見てきたのだとしたら、自我が出てもなお「照る日の杜」ご神体として生きていたのなら、信者の心を掴んでおけるだけの見る目はあると思う。そうじゃなきゃご神体万夜様に謁見できるだけの地位を持った信者達「照る日の杜」脱退しちゃわない? …いや、万夜様に幻滅して足抜けしようとしたら柚木みたいに殺されてる可能性あるな…。
 って思って調べたら「神体」って「神様の御魂が宿る依代」だそうで。ふむ。万夜様の肉体だけが「照る日の杜」にとって重要だった可能性。そうなると万夜様の性格どんなのでも、人の心がわからなくても、信者は神様の依代たる万夜様の所業を我慢する…? 
 うーん…。でも人の心がわからないようには見えないんだよな…。
 とりあえず、決めつけるには早計なのではなかろうか。

 

②「御池万夜」の内面
 「照る日の杜」でご神体様がどういう扱いを受けているのかは不明だけれど、多分周りにはちやほやされてた、から、ナチュラルに自分は他人より上って思考の持ち主に見える。これは「万夜様って呼んで」「僕に対する振舞いに気をつけろよ」から。あと『暁乃刻』衛星墜落での被害が小さかった(決して小さい被害では無いと思うが)ことに対して、「そんなもんなの」とさらっと言い放つ辺り、人命軽視の視点が自分より下の人間を多く抱える身分由来だったんだろうなぁ、と。他人と友好的な関係は築けたことなさそう。発言が悪い意味で素直すぎ。柚木が一嶋係長に頼んでまで万夜様とのペアを外して貰いたがるのもわかる。柚木とは価値観相当ズレてそう。柚木は大学に通ってた、大学寮住まいだった、世界選手権出場可能レベルだった(=コーチや練習仲間は「照る日の杜」信者ではない普通の人間が多い)っていうとこから多分価値観は一番「一般的」だろうし。脳筋だけど。
 その柚木に嫌われてる(避けられてる?)の気にしてるとこ可愛いと思う。「なにそれ、僕嫌われてるの?」って…他人にどう思われてもいいってスタンスなら出ない言葉じゃない…。負の感情を向けられるのに慣れてないのかな。万夜様なりに柚木のことは気に入ってそうだから(殺陣で柚木を庇ってるシーンがあった)、そのお気に入りに嫌われてるってちょっとショック受けてそうな。
 あと気になるのは万夜様が抱いてる自分自身の命に対する考え。自分が頭撃ち抜いたスペクターの顔を覗き込んで「やっと解放された、って顔してるね。そんなに生きるの辛かったの? そっか、僕と一緒か」って言ったり、「こんなところで野垂れ死ぬなんて」ってぼやいたり。「生きるの辛かった」が現在進行形なのか過去形なのか。ご神体様時代が彼にとって苦しいものだったのか、それともサクラ候補生である今も含めて辛いのか…。万夜様は一度目の死を迎えた時(信者に殺された時)、何を感じてたのだろう。「ご神体様」として生きてたんだからその時が一番他人の悪意を向けられた瞬間だと思うのだけれど、「やっと解放されたって顔」も「僕と一緒」にかかってるのなら殺される瞬間にそう感じたのだろうか。…万夜様闇深そう…生意気な性格してるけど…救われてほしい…。でも万夜様、死に場所・死に方にはある程度こだわりがあるっぽい。船上で砲撃されて「野垂れ死ぬ」のを嫌がってるから。万夜様は自身の命をそうやすやすと投げ捨てたって構わないとは思ってない。「辛かった」けど自暴自棄になるような内面ではないみたい。頑張って、自分の納得がいくところまで生き抜いて欲しい。
 万夜様のメサイアが誰になるか、チャーチを無事卒業できるのかも現時点では不明だけれど、万夜様もいつか救われますように。

 

 今回はここまで。『悠久乃刻』観劇までに何か考えが出たら追記したり編集する気がします。

 

 

追記(本編に特に大きく関わらないような妄想)

・群馬の山中から万夜様の遺体強奪できたってことは『照る日の杜』に情報提供者いるよね、しかもあんまり露出してないっぽい万夜様の死がすぐわかったってことはそれなりの上層部だよね。万夜様殺害→警察病院(遺体安置所)への経緯っていうかご神体様時代とかいつか明らかにされないだろうか。一嶋さんはいつから目をつけていたんだろう。万夜様にサクラとしての素質があると見てたってことなのかな。気になる。柚木は大学の寮で殺されたらしいので警察病院行きもわかる、…あれ、柚木の死って公表されてるの?か? 行方不明扱いだっけ? 万夜様(生まれながらにして山中で宗教のご神体様)はなんか元から戸籍なくても驚かないんだけど、柚木はどうしたんだろう。『極夜』とかその辺で触れられてたかな。DVDはよ。

・万夜様『暁乃刻』で「ゾンビゲーム」って言葉使ってたってことはゲームやるんだ。ちょっと意外だけどご神体様時代に暇潰しとして与えられてたり、サクラになってからお給料で買ったりしたんだろうか。万夜様はお給料娯楽系にばっか使ってそう(偏見)