「これもいずれ、赤く変わるわ」

ブログタイトルに意味はない

黎明が来る

 こんばんは。生きています。

 

 『月詠乃刻』を昨年春に観劇して以来、私の心はあの桜とともに置き去りにされたままです。月詠乃刻』って上演2018年春で合ってますか???? ほんとうに丸一年経ったんですか!?

 万夜様療養中の幻夜を見、万夜様が新たなメサイアを得た黄昏を超え、そしていざ黎明を迎えることとなりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。私は死にそうです。

 黎明前にブログ更新するか~~~とぼんやり考えていたら本日あらすじ(と物販情報)が更新されたからです。

messiah-project.com

 

 『黎明乃刻』は小暮・雛森ペアがメインとわかっていつつも、万夜様に何か起きないわけがない。そんな気しかしません。

 

 

 ただ、その、なんといいますか

 迎える黎明と、その先を生きるであろう万夜様には

 救いが訪れてほしい、とだけ思っています。

 

 『月詠乃刻』での万夜様の台詞の1つに、

  「気安く呼ばないでくれる、穂波」

 というものがありました。

 穂波からの「万夜」と名前での呼びかけに対する言葉です。

 万夜様にとって名前で呼ばれることが「気安い」、名前で呼ぶ(呼ばれる)ことに価値があるのなら、万夜様が「小太郎」と呼び続けた彼は昔から太陽で、神様なのだと痛感しています。

 その神様を月詠で喪い、黄昏で一人になった後の万夜様の姿は見ていて辛かったといいますか、

  「僕は生きて、あいつのためにも戦い続けなきゃいけない!」

と半ば叫ぶように口にするのを見て思うところがあったというか。まだ上手く言語に表せないです。 

 

 私個人の考えとしては、月詠で散ってしまった柚木小太郎は今でも御池万夜のメサイアなんじゃないかと。月詠のラストで相方を救い、そして今もなお御池万夜の身体を生かしているのは他でもない柚木小太郎ですから。

 ただ、月詠で神様を喪った万夜様にかかる精神的な重圧から救うメサイアになるのは杉浦レネ…なのか…なれるのか…なれるといいんですけども。今の万夜様にはまた別の救いが必要だと思ってるので。そもそもそこまでストーリーが続いてくれるか?という不安のほうが大きい悲しさよ。

 柚木小太郎と杉浦レネのどちらかだけが万夜様のメサイア、でなく、二人ともがそれぞれ別の意味…別の役割?でなってくれないかな…とほんのり願っています。万夜様が月詠の先を生きている限り柚木小太郎は間違いなくメサイアであるし、小太郎が今救えないところはレネが救ってほしい…という。

 そしてその時には、万夜様もレネが抱える(現時点では抱えているであろうという推測ですが)闇からも救える間柄に……な…なれるか…?万夜様がレネに心を許せる図が全く思い浮かばないので不安しかない。とりあえず祈るしかできない。

 

 

 運良く『黎明乃刻』は初日を観劇できるので、数日後が楽しみです。

 生きてシアターGロッソから帰れますように。